クロニカ クロニカ
← 詐欺の世界史 ― だます者とだまされる者 の目次へ

画面の向こうの罠 ― 国境を越える、愛と投資の詐欺

フィッシング、ロマンス詐欺、暗号資産をめぐる詐欺。SNSとマッチングアプリを舞台に、だましは国境を越えて広がった。手口を教えるのではなく、なぜ人が信じてしまうのか、その心理と構造を見つめ、注意喚起として描く第9話。

2026年6月14日

前回、私たちは電話を使った日本の特殊詐欺を見た。声を装い、不安をあおり、考える時間を奪う。受け子や出し子を末端に置いた、組織的なだましの構造。それは、人の心のすきまにつけ込む古い詐欺が、新しい道具をまとった姿だった。

その道具が、いまや手のひらの中にある。スマートフォンの画面の向こうには、見知らぬ誰かが無数に潜んでいる。本物そっくりのメール、心を奪う恋人、確実に儲かるという投資話。インターネットは、だます者にとって、かつてない広さの猟場になった。この章では、ネットの時代に姿を変えた詐欺を、その手口の再現としてではなく、なぜ人が信じてしまうのかという心理と構造の側から見つめる。これは、身を守るための物語である。

偽の入り口 ― フィッシングという名の釣り

フィッシングという言葉が使われはじめたのは、1990年代半ばのことだとされる。当時、インターネットの入り口として広く使われていたアメリカの大手サービス、AOLの利用者を狙い、その個人情報を盗もうとする者たちが現れた。釣りを意味する英語のfishingに、ハッカー文化のなかで通信網を探っていた者たちを指すphreakの綴りが重なって、phishingという言葉が生まれたと伝えられている。

仕組みそのものは、ごく単純である。本物に見せかけた偽の入り口を用意し、そこへ人を誘い込む。銀行や宅配業者、有名なネットサービスを装ったメールやメッセージが届き、もっともらしい理由で、本物そっくりの偽サイトへ案内する。そこで入力された情報が、そのまま盗まれていく。技術的に複雑なことは、ほとんど起きていない。だます者が利用しているのは、コンピューターの欠陥ではなく、人の心の動きのほうである。

落ち着いてみれば、見破る手がかりはいくつもある。送り主のアドレスがどこか不自然であること、本物のサービスがメールで重要情報の入力を求めることは少ないこと、心当たりのない通知であること。けれど不安と緊急性に追われているとき、人はその手がかりを見落とする。だからこそ、怪しいと感じたら一度手を止め、メールのリンクからではなく、自分が普段使っている正規の方法で確かめ直す。その一呼吸が、最大の防御になると言われている。

心を盗む詐欺 ― 画面の向こうの恋人

フィッシングが情報を盗むなら、ロマンス詐欺は心そのものを盗む。これは、この連載の第5話で見た信用詐欺――人の信頼を得てからだます古典的な手口が、SNSやマッチングアプリという舞台に移ったものだと言える。

手口の核心は、時間をかけて信頼を築くことにある。だます者は、魅力的な人物を装って近づき、毎日のように言葉を交わし、悩みに寄り添い、将来を語り合う。被害者の多くは、相手を恋人や人生の伴侶だと信じるようになる。そして、関係が深まりきったところで、はじめてお金の話が現れる。急な不幸、ビジネスの好機、二人の未来のための投資――理由はさまざまであるが、共通しているのは、被害者がもはや相手を疑えなくなっている、という点である。

  1. 1990年代半ば

    インターネットの普及期、AOL利用者を狙った情報窃取からフィッシングという言葉が生まれたとされる。

  2. 2000年代

    出会い系サイトやSNSの広がりとともに、国境を越えた国際ロマンス詐欺が報告されはじめる。

  3. 2010年代後半

    暗号資産の普及を背景に、投資をうたう新しい型の詐欺が世界各地で増加したと報じられる。

  4. 2024年

    日本でSNS型投資・ロマンス詐欺の被害額が大幅に増加し、警察庁が過去最悪の水準と発表したとされる。

ここで大切なのは、だまされた人を愚かだと笑わないことである。人を信じ、誰かを愛そうとする気持ちは、人間のもっとも自然で、もっとも尊い働きである。ロマンス詐欺は、まさにその尊い気持ちを逆手に取る。だから被害は、孤独や不安を抱えた人だけでなく、ごく普通に日々を送る人にも起こりうる。報じられる被害者の中には、社会的地位のある人や、慎重なはずの人も少なくない。愛したことは、罪ではない。罪があるのは、その心につけ込んだ者の側である。この視点を失えば、私たちは被害者を二度傷つけることになる。

国境を越える被害 ― 確実に儲かるという嘘

ネット詐欺のもう一つの大きな流れが、暗号資産をめぐる投資詐欺である。ロマンス詐欺と投資詐欺は、しばしば結びついて現れると報じられている。親しくなった相手から、ある投資を勧められる。最初は少額で、本当に利益が出たように画面に表示される。信じた被害者がさらに大きな金額を投じると、ある日、出金しようとした瞬間にすべてが消える――そうした構造が各地で報告されている。

ここでだます者が見せる嘘は、第4話で見たポンジ・スキームと、心理の根は同じである。確実に儲かる、自分だけが特別な機会を得ている、いま動かなければ損をする。人の欲と焦りに同時に火をつけるのだ。違うのは、その舞台が国境を越えていることである。被害者は日本にいて、だます者は海の向こうにいる。お金は暗号資産に姿を変え、いくつもの国を経由して消えていく。追跡は難しく、取り戻すことは容易ではないと言われている。

道具は変わり続ける。メール、SNS、マッチングアプリ、暗号資産。けれど、だます者が狙う場所は、文明が始まって以来ずっと変わっていない。不安、孤独、欲、そして人を信じようとする心。技術がどれほど進んでも、最後に守るべきは、私たち自身の心の動きそのものなのだ。

そして、その心につけ込む技術は、いま新たな段階に入ろうとしている。本物そっくりの声、本物そっくりの顔――嘘と真実の境界そのものを、揺るがしながら。

この記事は役に立ちましたか?

この物語が面白かったら——

X LINE

参考ソース・元動画