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ジブリと世界 ― 宮崎駿の達成

1988年の『となりのトトロ』から、1997年の『もののけ姫』、そして2001年の『千と千尋の神隠し』へ。スタジオジブリの手描きアニメは、国内の大ヒットを越え、ベルリンとアカデミーで世界の評価を得るに至った。その達成の歩みと、極北ゆえの困難を、史実ベースで描く。

2026年6月13日

前話で私たちは、80年代にアニメがビデオと劇場という新しい器を得て、海の向こうへの通路まで開いていくさまを見た。その時代に産声をあげたスタジオジブリは、まだ世界に名を知られる前夜にあった。

ジブリが選んだ道は、いっけん時代に逆らうものだった。技術がデジタルへと向かいはじめる時代に、あくまで一枚一枚を人の手で描く道を歩み続けたのである。それは効率とは反対の方向だった。だが、その遠回りの先に、世界が認める高みが待っていた。

この話では、国内の人気作から、世界の映画祭が最高賞を贈るまでの、ジブリのおよそ十数年をたどる。あわせて、極北を目指すことの代償についても、目をそらさずに触れておきたい。

二本立ての賭け ― トトロと火垂るの墓

ジブリの名を広く家庭に届けた一本が、1988年公開の『となりのトトロ』である。田舎に越してきた姉妹と、森にすむ不思議な生き物との交流を、穏やかな筆致で描いた作品だった。

興味深いのは、その公開の形である。『となりのトトロ』は当初、単独での全国公開が難しいと見られていたため、高畑勲監督の『火垂るの墓』との二本立てとして送り出された。戦時下の神戸で、幼い兄妹が懸命に生きようとする『火垂るの墓』は、明るいトトロとは対照的な、痛みに満ちた物語である。同じ上映時間のなかに、これほど手触りの異なる二作が並んだことは、後年まで語り草となった。

二本立てという形は、興行のうえでは賭けだった。だが結果として、ジブリは「子ども向けの安心できる娯楽」と「大人の胸を刺す重い物語」という、両極の作風を同じ屋根の下に抱える制作集団であることを、早い時期に示すことになった。

国内の頂へ ― もののけ姫

90年代に入り、ジブリの作品は規模を増していく。その一つの到達点が、1997年公開の『もののけ姫』だった。

中世の日本を思わせる世界で、森の神々と、製鉄によって自然を切り拓く人間たちとの争いを描く。どちらかを単純な悪として裁かず、それぞれの正しさと業を抱えたまま物語を進める姿勢は、宮崎作品に通じる特徴だった。作画の物量も大きく、当時としては相当の労力が投じられたと伝えられる。

『もののけ姫』の興行収入は、当時の日本歴代興行収入の首位に立つ規模に達したとされる。アニメーションが、実写の大作と並ぶ、あるいはそれを上回る国民的なヒットになりうることを、この作品は数字の面でも示した。アニメは、もはや一部の愛好者のものではなく、社会の広い層が劇場に足を運ぶ対象になっていたのである。

  1. 1988

    『となりのトトロ』が『火垂るの墓』との二本立てで公開される

  2. 1997

    『もののけ姫』が公開され、当時の日本歴代興行収入の首位級のヒットとなる

  3. 2001

    『千と千尋の神隠し』が公開され、国内興行で記録的な数字を残す

  4. 2002

    『千と千尋の神隠し』がベルリン国際映画祭で金熊賞を受賞する

  5. 2003

    同作が米アカデミー長編アニメ映画賞を受賞する

国内の頂に立った一方で、ジブリの目はすでに、その外側にも向きはじめていた。手描きにこだわる作風が、日本の外でどう受け止められるのか。その問いへの答えが、次の作品で示されることになる。

世界が認めた極北 ― 千と千尋の神隠し

2001年、宮崎駿監督の『千と千尋の神隠し』が公開された。両親とともに不思議な世界へ迷い込んだ少女が、八百万の神々が集う湯屋で働きながら、自分を取り戻していく物語である。日本の民俗的な世界観と、普遍的な成長の物語が重なり合い、幅広い観客を引き込んだ。

国内では記録的な興行成績を残したと伝えられる。だが、この作品が特別なのは、その評価が国境を越えた点にある。2002年、『千と千尋の神隠し』はベルリン国際映画祭で最高賞である金熊賞を受賞した。長編アニメーションが世界的な映画祭の最高賞を得るのは、きわめて異例のことだったとされる。そして2003年、同作は米アカデミー賞の長編アニメ映画賞を受賞する。日本のアニメーション映画として、初めての快挙だった。

世界の二つの大きな舞台で評価を得たことで、ジブリ、そして日本のアニメは、輸出される娯楽の一種から、芸術として論じられる対象へと位置を変えた。少なくとも、その語られ方は確かに変わった。手描きという、効率からはほど遠い道を歩み続けた選択が、結果として唯一無二の質感を生み、それが世界に届いたのである。

達成のあとに残るもの

ジブリの歩みは、一つの問いを私たちに残す。極限まで手をかけた表現は、たしかに人の心を打つ。だが、その道をいつまで、誰の負担のうえで続けられるのか。

手描きを貫くことは、機械化や効率化が進む時代にあって、年々重い選択になっていったとされる。優れた作品を生み出すたびに、それを支える人材の確保や、現場の持続性という課題が、より切実なものとして浮かび上がる。ジブリの達成は、その困難を引き受けたうえで成し遂げられたものだった。だからこそ、安易に再現できるものでもない。

それでも、ジブリが示したことの意味は小さくない。アニメーションが、子どもの娯楽でも、消費されて忘れられる流行でもなく、長く語り継がれる作品になりうること。手仕事の積み重ねが、国境も世代も越えて人に届きうること。それを、この制作集団は実例として残した。

そして、ジブリが手描きの達成を積み上げていたまさに同じ頃、アニメの世界では、まったく異質な原理で時代を切り裂く作品が生まれつつあった。深夜の放送枠から立ち上がり、社会現象とまで呼ばれることになる、その衝撃を、次話で見ていくことにしよう。

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