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昇華された戦争 — 国家と資本がスポーツを飲む — 起源⑤

アマチュアの理想として始まった近代スポーツは、20世紀にプロ化し、テレビと結びつき、巨大なビジネスへと変貌した。破産寸前だった五輪を救い、そして永遠に変えたのが1984年ロサンゼルス大会である。ギャンブルから放映権まで、スポーツを動かしてきた「マネー」の歴史をたどる。

2026年7月10日

クーベルタンが掲げたアマチュアリズムの理想は、20世紀を通じて静かに崩れていった。金銭のためではなく競技のために——その気高い建前の裏で、スポーツは着実に巨大なビジネスへと姿を変えていく。国家の威信と企業のマネー。この二つがスポーツを飲み込んでいく過程は、そのまま近代スポーツが「昇華された戦争」であることを暴いていく。

  1. 1660年

    王政復古後の英国。賭博の資金がクリケット・競馬・ボクシングを支え、プロ・チームスポーツが生まれる。

  2. 1870年代

    アメリカの野球でプロとアマが分裂。プロが急速に主流となり、主役が『選手』から『球団』へ移る。

  3. 1976年

    モントリオール五輪が巨額の赤字を計上。以後、開催に名乗りを上げる都市が激減する。

  4. 1984年

    ロサンゼルス五輪が民間資金のみで運営され、史上最大の黒字を達成。五輪の商業化を決定づける。

スポーツは、最初から金と踊っていた

スポーツと金の関係を、近代の堕落と考えるのは正しくない。両者はずっと前から踊っていた。

17世紀のイギリスにさかのぼる。1660年の王政復古のあと、社会は過度な賭博に沸き、1664年には賭博を規制する法律が必要とされたほどだった。この時代、クリケット、競馬、ボクシングといったスポーツは、まさに賭博の利益によって資金を得ていた。賭けの胴元であるパトロンたちが、自らの利益を代表する強いチームを組んだ。これが、プロ・チームスポーツの起源だとされる。純粋な競技心ではなく、金銭的な欲望と興行が、組織化されたスポーツを生んだのだ。

19世紀後半、この流れは決定的になる。1870年代のアメリカで、野球はプロとアマチュアに分裂した。そしてプロの試合が急速に主流となり、スポーツの焦点は「個々の選手」から「クラブ=球団」へと移っていった。人々は個人の英雄ではなく、組織を応援するようになる。ビジネスとしてのスポーツの原型が、ここに現れた。

破産寸前の五輪を救った、一人の男

20世紀後半、この商業化の波は、ついにオリンピックそのものを飲み込む。転換点は、1984年のロサンゼルスだった。

きっかけは、その8年前の惨事である。1976年のモントリオール五輪は、巨額の赤字を計上し、開催都市に長く続く負債を残した。以後、五輪の招致に名乗りを上げる都市は激減する。金がかかりすぎ、償からないと見なされたのだ。ロサンゼルスに至っては、市民が住民投票で、五輪の赤字に税金を使うことを禁じてしまった。公金は一切使えない。それでも大会を開くには、民間の力だけで運営するしかなかった。

その難題を引き受けたのが、組織委員長ピーター・ユベロスである。彼は五輪の商業モデルを一から作り替えた。まず、スポンサーを絞り込んだ。一つの業種につき一社だけと契約し、その独占的地位に高い価値を与える。マクドナルド、コカ・コーラ、ビザといった企業が、五輪と結びつくために巨額を支払った。さらに彼は、新たな施設をほとんど建てず既存の施設を使い倒し、テレビ放映権の収入を最大化した。

結果は劇的だった。ロサンゼルス五輪は、史上最も利益を上げた大会となり、2億3000万ドルを超える黒字を残した。「五輪は償かる」——ユベロスはそれを証明してみせた。世界中の都市が態度を一変させ、我先にと招致に走るようになる。

放映権という、見えない主役

1984年以降、オリンピックの本当の主役は、競技場のアスリートではなく、テレビカメラの向こうの視聴者になった。

マスメディアとグローバルな通信網の発達は、スポーツを地域の娯楽から世界的なエンターテインメントへと押し上げた。プロ化はますます進み、スポーツの人気そのものを押し上げた。今日、オリンピック運動の収入の大半は、放映権料とスポンサー収入が占める。開催都市にとって五輪は、もはや単なるスポーツの祭典ではない。都市を再開発し、国のブランドを世界に売り込む、巨大な経済プロジェクトだ。極端な例が1992年のバルセロナで、投資の実に8割超が、大会運営そのものではなく都市の再生に注がれた。

だが、光には影がある。勝利の価値が跳ね上がるほど、それを金に換えようとする力も強まる。批判者は、企業ロゴと放映権が主役になり、アスリートが後景に追いやられたと嘆いた。クーベルタンが夢見たアマチュアの理想は、もはや遠い。そして「勝利への欲望」が行き着いた先には、身体を薬物で人工的に押し上げる、もう一つの闇が待っていた。それは次話のテーマである。

神から、ルールへ。ルールから、国家と資本へ。スポーツの主語は、時代とともに移り変わってきた。だが、まだ答えていない根本の問いがある。そもそも、誰がこの舞台に立つ資格を持つのか。女性は。多様な身体は。薬に手を出した者は。物語は、身体をめぐる最後の線引きへと続く。

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