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連載 ・ 全8話
スポーツの起源 — なぜ人類は競うのか
オリンピックは、もともとスポーツ大会ではなかった。紀元前776年に始まった古代オリンピア祭は、最高神ゼウスに捧げる宗教祭儀であり、100頭の牛が犠牲に供された。走ることも、投げることも、神への祈りだった。近代スポーツが忘れた「聖なる肉体」の記憶を、古代ギリシャの神域からたどる。
- 01 神々に捧げる肉体 — 聖なる競技場オリンピア — 起源① オリンピックは、もともとスポーツ大会ではなかった。紀元前776年に始まった古代オリンピア祭は、最高神ゼウスに捧げる宗教祭儀であり、100頭の牛が犠牲に供された。走ることも、投げることも、神への祈りだった。近代スポーツが忘れた「聖なる肉体」の記憶を、古代ギリシャの神域からたどる。
- 02 生贄となる勝者 — メソアメリカ、命掛けの球技 — 起源② 紀元前1650年より前から、新大陸では硬いゴム球を腰で打ち合う球技が営まれていた。オルメカ、マヤ、アステカへ受け継がれたこの競技は、宇宙の秩序を支える儀礼であり、敗者や捕虏が斬首される死の舞台でもあった。スポーツと生贄が一体だった、もう一つの起源を掘り下げる。
- 03 野蛮な遊びを飼いならせ — ルールが生まれた19世紀 — 起源③ 900年以上、イギリスの村々では流血をいとわない乱暴な球技が行われ、王は30回以上もそれを禁じた。その野蛮な遊びを「ルール」で飼いならし、人格を鍉える教育へと作り変えたのが、十九世紀のパブリックスクールだった。近代スポーツはなぜ産業革命の英国で生まれたのか。成文化の物語。
- 04 甲った古代の幻影 — クーベルタンと近代五輪 — 起源④ 1500年ものあいだ途絶えていたオリンピックは、一人のフランス人貴族の執念で甲った。ピエール・ド・クーベルタンは、古代ギリシャの権威を借り、スポーツによる世界平和という理想を掲げた。1896年アテネ、独立記念日に開幕した第1回大会。だがその祭典は、生まれた瞬間から政治と切り離せなかった。
- 05 昇華された戦争 — 国家と資本がスポーツを飲む — 起源⑤ アマチュアの理想として始まった近代スポーツは、20世紀にプロ化し、テレビと結びつき、巨大なビジネスへと変貌した。破産寸前だった五輪を救い、そして永遠に変えたのが1984年ロサンゼルス大会である。ギャンブルから放映権まで、スポーツを動かしてきた「マネー」の歴史をたどる。
- 06 誰が競う資格を持つのか — 身体をめぐる境界線 — 起源⑥ 古代五輪は自由民男性だけのものだった。近代五輪も、第1回大会は女性を締め出した。誰がスポーツに参加でき、どんな身体が「正しい」とされるのか——その線引きは、性別確認検査やドーピング検査という形で、科学の名のもとに争われてきた。連載最終話は、スポーツが映してきた人間そのものを問う。
- 07 そして、遊びに還る — ホモ・ルーデンスの祝祭 — 起源⑦ 神・ルール・国家・資本・科学。スポーツの主語をたどってきた旅は、最後にもっとも単純な答えにたどり着く。遊びだ。1938年、歴史家ホイジンガは『ホモ・ルーデンス』で、遊びこそが文化に先立つと説いた。魔法円、そしてカイヨワの四つの遊び。連載の全6話を「遊ぶ人」の視点から結び直す、最終話。
- 08 遊びを発見した歴史家 — ホイジンガ『ホモ・ルーデンス』を読む — 研究編 「スポーツの起源は遊びにある」——それは詩的な比喩ではなく、一つの学問的命題である。1938年、歴史家ヨハン・ホイジンガは『ホモ・ルーデンス』で「遊びは文化に先立つ」と論じ、競い合い(アゴーン)こそが文化を生むと説いた。だが彼は同じ本で、近代スポーツを「遊びを失った」例として断罪してもいた。本連載の締めに、この一冊を研究の視点から精読する。