クロニカ クロニカ
← Jリーグ 30年の軌跡 ― 日本サッカーを変えた革命 の目次へ

広がるJ — 性別も国境も超えて

地域に根を張ったJリーグは、やがて性別の壁、国境の壁を越えていく。女子のWEリーグ、タイをはじめとする東南アジア戦略、そして全国で広がる社会連携シャレン。Jが目指したのは、もはやサッカーだけにとどまらない、社会そのものへの貢献だった。その広がりの物語を辿る。

2026年6月12日

地域に深く根を張ったJリーグは、ある時期から、もうひとつの大きな問いを抱えるようになった。地域に根ざすという理念は、はたして「男子のサッカー」だけのものなのだろうか。そして、この理念は日本という国境の内側だけで完結するものなのだろうか——。30年という時間のなかで、Jリーグは静かに、しかし確かに、自らの輪郭を押し広げていった。性別の壁を越え、国境の壁を越え、ついにはサッカーという競技の枠さえ越えて、社会そのものに手を伸ばしていったのだ。この第9話では、広がるJの物語を追いかける。

  1. 2012

    Jリーグがアジア戦略室を立ち上げ、東南アジアへの本格的な進出を始める。

  2. 2017

    Jリーグ社会連携シャレンの取り組みが本格化し、地域課題の解決へと活動が広がる。

  3. 2020

    日本初の女子プロリーグの名称がWEリーグに決定したと発表される。

  4. 2021

    WEリーグが11クラブで開幕し、女子サッカーのプロ化が動き出す。

  5. 2023

    タイでのJリーグの関心度が高まり、アジア戦略の成果が数字に表れていく。

WEリーグ — 女子サッカーがプロになった日

Jリーグが男子サッカーの世界を変えていく一方で、日本の女子サッカーには、長く越えられない壁があった。

2011年、なでしこジャパンがFIFA女子ワールドカップで世界の頂点に立ったとき、日本中が沸いた。翌2012年のロンドンオリンピックでも準優勝を果たし、女子サッカーの試合に多くの観客が詰めかけた時期もあった。けれど、その熱は長続きしなかった。受け皿となるリーグ、いわゆるなでしこリーグはアマチュアの枠組みのままで、選手の多くは仕事と競技を両立させながらプレーしていたのだ。世界一になった選手たちでさえ、サッカーだけで生きていくことは難しい——。そして、トップ選手が次々と欧米のプロリーグへと流出していった。

この現実を変えようと、日本サッカー協会は動き出する。2019年に女子の新リーグ設立準備室を立ち上げ、構想を練り上げていった。そして2020年6月、日本初の女子プロサッカーリーグの名称がWEリーグ——Women Empowerment Leagueの略だとされます——に決まったと発表された。

迎えた2021年9月、WEリーグは11クラブで開幕した。掲げられた理念は、サッカーの勝敗を超えたものだった。女子サッカーやスポーツを通じて、夢や生き方の多様性にあふれ、一人ひとりが輝く社会の実現に貢献する——。それは、男子のJリーグが地域密着を掲げたように、女子のリーグが社会そのものの変革を掲げた瞬間でもあった。

アジアへ — 国境を越えるJリーグ

Jリーグが押し広げたもうひとつの壁は、国境だった。

きっかけは、ひとつの危機感だったとされる。日本国内の人口が減っていくなかで、Jリーグが将来も成長を続けるには、視線を外へ向ける必要がある。そう考えたJリーグは、2012年にアジア戦略室を立ち上げ、タイ、ベトナム、インドネシア、カンボジアといった東南アジア各国へと足を踏み出していった。

最初の一歩は、放映権だった。Jリーグの試合を、現地のテレビやネットで観てもらう。同時に、東南アジア出身の選手をJリーグのクラブが獲得することで、その国のファンに「自分の国の選手が日本で戦っている」という親近感を持ってもらう——。地道な取り組みは、やがて目に見える成果へとつながっていく。

なかでもタイは、Jリーグのアジア戦略を象徴する成功例になった。タイにおけるJリーグへの関心度は、2013年頃には2割に満たなかったものが、後には約半数にまで高まったと報じられている。タイ人の2人に1人がJリーグに関心を持っているという状態は、海を越えてJの熱が伝わったことの証だった。タイ向けの放映権料は、契約更新のたびに大きく伸び、海外からの放映権収入はかつての何倍にも膨らんだとされる。

もちろん、すべてが順調だったわけではない。ベトナムのように、有料放送にお金を払う文化がまだ根づいていない国もある。Jリーグはこうした国々を、すぐには大きな収益にならないものの将来性のある市場として位置づけ、長い目で関係を育てていった。

シャレン — サッカーを超えて、社会へ

性別の壁、国境の壁を越えたJリーグが、最後に手を伸ばしたのは、サッカーという競技そのものの外側だった。

思い返せば、1993年の発足当初から、Jクラブにはホームタウン活動——地域への貢献や環境保護といった取り組み——が課されていた。地域に根ざすという理念は、最初から「サッカーで地域を豊かにする」ことを意味していたのだ。やがてこの活動は、より大きな形へと育っていく。シャレン!——Jリーグ社会連携と呼ばれる取り組みである。

シャレンが目指したのは、教育、健康、まちづくり、ダイバーシティ、世代間交流といった地域の課題に、クラブだけでなく、地元の企業、自治体、学校、そして住民が一緒になって取り組むことだった。3者以上が手を組み、共通の価値を生み出す——。サッカークラブが、地域の課題を解決するためのプラットフォームになっていったのだ。

その規模は、決して小さなものではない。報じられるところでは、Jクラブ全体の社会連携・ホームタウン活動は、年間で数千、あるいはそれ以上の数にのぼるとされる。子どもたちへのサッカー教室にとどまらず、高齢者の健康づくり、環境保全、被災地への支援——。クラブのエンブレムは、勝敗を競う旗であると同時に、街の課題に寄り添う旗にもなっていった。

2021年には、Jリーグが環境省と連携協定を結び、気候変動対策をはじめとする地域に根ざした取り組みを進めることになったとも報じられている。サッカーのリーグが、国の環境政策とまで手を取り合う——。それは、Jが当初描いていた百年構想の射程が、いかに広かったかを物語っている。

こうしてJリーグは、男子サッカーの一リーグという出発点から、女子のプロリーグを生み、アジアにファンを広げ、地域の社会課題にまで踏み込む存在へと変わっていった。それは、川淵三郎たちが30年前に思い描いた夢が、当人たちの想像をも超えて育っていった姿だったのかもしれない。

性別を超え、国境を超え、社会の課題にまで手を伸ばしたJリーグ。では、その30年の歩みは、これからの30年に何を遺すのだろうか。そして、Jが日本という国に本当に手渡したものとは、いったい何だったのか。いよいよ最終話、Jの未来へ——。

この記事は役に立ちましたか?

この物語が面白かったら——

X LINE

参考ソース・元動画