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連載 ・ 全10話
日本サッカー 世界への100年
幕末から明治、海を渡ってきた一個のボールが、やがて国家事業へと育っていく。港町の外国人居留地で蹴られた遊びは、どのようにして1921年の協会誕生と天皇杯の始まりへつながったのか。日本サッカー100年の物語は、この静かな原点から動き出す。
- 01 ボールが海を渡ってきた — 伝来とJFA誕生 幕末から明治、海を渡ってきた一個のボールが、やがて国家事業へと育っていく。港町の外国人居留地で蹴られた遊びは、どのようにして1921年の協会誕生と天皇杯の始まりへつながったのか。日本サッカー100年の物語は、この静かな原点から動き出す。
- 02 ベルリンの奇跡 — 戦前の挑戦と戦後の出発 1936年ベルリン五輪、優勝候補スウェーデンに0対2から逆転した一夜。ヨーロッパを驚かせた「ベルリンの奇跡」は、しかし戦争という巨大な断絶へ呑み込まれていく。焦土からの再出発、実業団サッカーの芽生え——日本サッカーが二度目のスタートを切るまでの物語。
- 03 メキシコの銅メダル — クラマーと釜本の時代 ボールを止める、蹴る——その当たり前を、日本は一人のドイツ人から教わった。デットマール・クラマーがまいた種は、1968年メキシコの高地で銅メダルとして実を結ぶ。釜本邦茂と杉山隆一が世界を驚かせた、日本サッカー最初の黄金期の物語。
- 04 長い冬 — Jリーグ前夜 メキシコの銅メダルが頂点だった。五輪のあと、日本サッカーは長い低迷に沈む。ガラガラのスタジアム、報われないアマチュア選手、広がるばかりの世界との差。だが、その冬の底で「プロ化」という渇望が静かに育っていく。Jリーグ誕生前夜の物語。
- 05 Jリーグ誕生 — 1993、緑の革命 ガラガラのスタジアムしか知らなかった国に、1993年5月15日、五万九千人の歓声が降り注いだ。川淵三郎が掲げた地域密着の理念と、企業名を捨てた緑のクラブたち。日本サッカーが社会へと離陸した、その夜の物語。
- 06 ドーハの悲劇 — あと一歩のW杯 1993年10月28日、カタールのドーハ。日本はワールドカップ初出場まであと数秒に迫っていた。だがロスタイム、一本のコーナーキックがすべてを奪い去る。国民的トラウマとなったあの夜が、なぜ次の飛躍のバネになったのか。
- 07 ジョホールバルの歓喜 — 初めての世界舞台(フランス1998) 1997年11月、マレーシアのジョホールバル。延長戦の深夜、ひとりのスピードスターがスライディングしながらボールを押し込んだ瞬間、半世紀以上抱き続けた夢がついに叶った。初めてのワールドカップ。そして翌年、日本は世界そのものと正面から向き合うことになる。
- 08 日韓ワールドカップ2002 — 国を挙げた祝祭 2002年初夏、ワールドカップが初めてアジアの地に、そして日本にやってきた。トルシエ率いる若き代表は初の決勝トーナメント進出を果たし、列島はかつてない熱狂に包まれた。サッカーが、ひと握りのファンのものから、国民みんなの文化へと変わった夏の物語。
- 09 海外組の時代 — 中田英寿から世界へ 1998年夏、ひとりの若者が単身でイタリアへ渡った。中田英寿が切り拓いた道を、本田圭佑や香川真司ら2010年代の海外組が当たり前の景色に変え、久保建英や三笘薫ら現代のスターがさらに押し広げた。代表のほぼ全員が欧州組という現在地までを描く、三世代にわたる海外組の時代の物語。
- 10 なでしこ、そして未来 — 世界一とその先 2011年、震災で傷ついた日本に、なでしこジャパンが世界一の報せを届けた。100年の歩みの果てにたどり着いた頂と、育成・欧州組・市場の成熟を積み上げた先に、いま開催中の2026年ワールドカップで「世界一」を本気で目指し始めた男子の現在地を見つめる、最終話。