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笠戸丸、海を渡る ― 1908年、ブラジルへ

1908年、神戸港から一隻の船が出航した。笠戸丸。781人の日本人を乗せて、地球の反対側ブラジルを目指す、第一回移民船だった。サッカー王国と日本を結ぶ百年以上の絆は、この航海から始まる。W杯で何度も対峙してきた両国の、知られざる物語の出発点。

2026年6月29日

2026年、ワールドカップの舞台で、日本はふたたびブラジルと相まみえる。サッカー王国と挑戦者。その対戦の背景には、ピッチの上だけでは語りきれない、百年以上におよぶ両国の深い縁がある。物語は、いまから一世紀以上前、一隻の船が日本を旅立った日にさかのぼる。

  1. 1908年4月28日

    移民船・笠戸丸が、781人の契約移民を乗せて神戸港を出航。

  2. 1908年6月18日

    笠戸丸がブラジル・サントス港に到着。日本人のブラジル移住が始まる。

  3. 現在

    6月18日はブラジルで「日本人移民の日」、日本で「海外移住の日」とされる。

神戸港を出た一隻の船

1908年(明治41年)4月28日、神戸の港から、笠戸丸という名の船が静かに岸を離れた。船に乗っていたのは、781人の日本人。彼らは「契約移民」として、はるか地球の反対側にあるブラジルへと向かう人々だった。船を仕立てたのは皇国殖民会社で、社長の水野龍も同乗していたと伝えられる。

当時の日本は、明治維新を経て近代化を急ぐ一方で、農村には貧しさが広がり、増え続ける人口を国内だけでは支えきれずにいた。新天地を求める人々にとって、広大な土地を持つブラジルは、希望の地に映った。ブラジルの側もまた、奴隷制の廃止後、コーヒー農園で働く労働力を必要としていた。二つの国の事情が重なり合い、太平洋と大西洋を越える、壮大な移住の物語が始まったのである。

五十日あまりの航海の果てに

笠戸丸は、香港、シンガポール、アフリカ南端の喜望峰を回り、大西洋を渡るという、気の遠くなるような長旅を続けた。出航からおよそ五十日。1908年6月18日、船はついにブラジルのサントス港に到着する。船倉で揺られ続けた人々が、初めて新大陸の土を踏んだ瞬間だった。

しかし、たどり着いた先に待っていたのは、楽園ではなかった。多くの移民が向かったのは、内陸のコーヒー農園である。言葉も通じず、気候も食べ物も違う。重労働と低い賃金、契約をめぐる行き違い。理想と現実の落差に苦しみ、農園を去る者も少なくなかった。最初の移住は、けっして平坦な成功物語ではなかったのだ。

「移民の日」が記憶するもの

それでも、最初の一歩は確かに刻まれた。笠戸丸がサントスに着いた6月18日は、いまもブラジルで「日本人移民の日」として、日本で「海外移住の日」として記憶されている。一隻の船が運んだ781人は、やがてブラジル各地に散らばり、苦労を重ねながら、この国に根を下ろしていく。

彼らの子孫は、いまやブラジルで大きな存在となった。農業を切り開き、商業や工業に進出し、政治や文化の世界でも活躍する人々を輩出していく。日本から渡った移民は、ブラジル社会の一部となり、同時に、日本との太い絆を保ち続けた。その絆は、のちにサッカーという形でも、両国を強く結びつけることになる。

笠戸丸の航海から一世紀以上。日本とブラジルは、いまワールドカップの大舞台で向かい合おうとしている。その一戦をより深く味わうために、まずは知っておきたい。両国を結ぶ物語が、どれほど長く、どれほど豊かなものであるかを。だが、その絆は最初から穏やかに育ったわけではない。次回は、移民たちを待ち受けたコーヒー農園の現実と、苦闘のなかで定住への道を切り開いていった日々をたどる。

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